1 預貯金債権等についての最高裁の判断の変更

預貯金等の可分債権は、「数人の債権者又は債務者がある場合において、別段の意思表示がないときは、各債権者又は各債務者は、それぞれ等しい割合で権利を有し、又は義務を負う。」(民法427条)ことから、相続開始と同時に相続分に応じて各相続人に分割して承継されると解釈されてきました(最高裁昭和29年4月8日判決 民集8巻4号819頁)。

このため、預貯金についても、相続人間で分割対象に含めるとの合意があって初めて分割対象とすることができるとされ、審判においては、合意がなければ分割の対象としないと解釈され、実務もそのように運用されていました。

しかし、このような解釈については、特別受益や寄与分を十分に考慮することができず、相続人間の公平を図れないなどの問題が指摘されていました。

そこで、最高裁は、被相続人から約5500万の贈与を受けていた相続人Aが、遺産である預貯金(約4000万円)について、これを分割対象とする合意が出来ない場合に、Aが同預貯金について法定相続分を請求できるかについて、

共同相続された普通預金債権、通常貯金債権及び定期貯金債権は、いずれも、相続開始と同時に当然に相続分に応じて分割されることなく、遺産分割の対象となるものと解するのが相当である

として、判例を変更しました(最高裁平成28年12月19日大法廷決定 民集70巻8号2121頁)。さらに、これに続いて、最高裁平成29年4月6日判決(集民255号129頁)は、定期預金及び定期集金につき、契約上その分割払戻が制限されていることから、定期貯金と同様にいずれも、相続開始と同時に当然に相続分に応じて分割されることはないとしました。

このように普通預金債権、通常貯金債権、定期貯金債権、定期預金及び定期集金については、従前の判例が変更され、合意がなくても調停、審判においても、遺産分割の対象とされることになりました

ただし、これらの最高裁の判断は、普通預金債権、通常貯金債権及び定期貯金債権については、これらの債権が1個の債権として同一性を保持しながら常にその残高が変動し得るものであるというこれらの債権の特殊性から相続開始により分割しないことを理由づけており、他方、定期預金及び定期集金については、これらの債権の契約の本質的要素として分割払戻しが制限されていることから分割しないとしていることから、それぞれ理由が異なります。

どちらにせよ、これらの債権以外の例えば使途不明金について無断引き出しをした相続人に対する不法行為に基づく損害賠償請求権などの可分債権については、従前の解釈通り、相続開始と同時に当然に相続分に応じて分割されると解釈されています。

これらの最高裁の判例変更により、新たな問題が生じました。例えば、相続人において被相続人が負担していた債務の弁済をする必要がある場合や、被相続人から援助を受けていた相続人の当座の生活費を支出する必要がある等の事情がある場合、これらの預貯金を遺産分割に払い戻すにはどうしたらよいかという問題です。

従前は、法律的には、相続人は各々の相続分の金額までは、これらの預貯金を引き出すことが可能なはずでした(実際は、銀行の運用により引き出しを拒否され、裁判をしなければならない事例もありました。)。しかし、上記の判例変更により、このような引き出しは認められなくなってしまいました。

そこで、平成30年の民法等の改正(令和元(2019)年7月1日施行)により、Ⅰ 家庭裁判所の判断を経ない払戻を認める制度の創設、及びⅡ 預貯金債権の仮分割の仮処分について、上記のように引出の必要性が認められる場合についての要件を緩和をしました。

2 家庭裁判所の判断を経ないで払戻を認める制度の創設について(民法909条の2)

下記の民法909条の2により、相続人は、遺産である預貯金のうち、①相続開始時の債権額について当該相続人の相続分の1/3で、かつ、②同一の金融機関に対して権利行使をする場合は150万円を上限とする金額まで(平成30年法務省令第29号)、家庭裁判所の判断なく、銀行等から被相続人の預貯金を引き出せることとなりました。

第909条の2 (遺産の分割前における預貯金債権の行使)

各共同相続人は、遺産に属する預貯金債権のうち相続開始の時の債権額の3分の1に第900条及び第901条の規定により算定した当該共同相続人の相続分を乗じた額(標準的な当面の必要生計費、平均的な葬式の費用の額その他の事情を勘案して預貯金債権の債務者ごとに法務省令で定める額を限度とする。)については、単独でその権利を行使することができる。この場合において、当該権利の行使をした預貯金債権については、当該共同相続人が遺産の一部の分割によりこれを取得したものとみなす。

3 預貯金債権の仮分割の仮処分について、上記のように引出の必要性が求められる場合についての要件の緩和について(家事事件手続法第200条3項)

従前から、相続人は「急迫の危険を防止するため必要があるとき」は、家庭裁判所に仮処分等(この場合は具体的には遺産である預金の引出)を求めることができました(家事事件手続法200条第1及び2項)。

しかし、相続人において被相続人が負担していた債務の弁済をする必要がある場合や、被相続人から援助を受けていた相続人の当座の生活費を支出する必要がある場合等の事情などでは、「急迫の危険を防止するため必要があるとき」に該当しません。

そこで、今回の改正では、家事事件手続法に200条3項を追加し、このような預金の引出について、「急迫の危険を防止するため必要があるとき」の要件を「行使する必要があると認めるとき」に緩和しました。

この改正により、
① 遺産の分割の審判または調停の申立てがあった場合において、
② 相続財産に属する債務の弁済、相続人の生活費の支弁その他の事情により、遺産に属する預貯金を相続人が行使する必要があると認めるとき
③ 相続人の申立により、
④ 他の共同相続人の利益を害しない限り、
家庭裁判所は、遺産に属する特定の預貯金債権の全部または1部を申立人仮に取得させることができることになりました。

なお、相続人全員が預金引出に合意し、遺産の一部分割した場合は預金を引き出せるのは勿論です

第200条 (遺産の分割の審判事件を本案とする保全処分)

家庭裁判所(第105条第2項の場合にあっては、高等裁判所。次項及び第3項において同じ。)は、遺産の分割の審判又は調停の申立てがあった場合において、財産の管理のため必要があるときは、申立てにより又は職権で、担保を立てさせないで、遺産の分割の申立てについての審判が効力を生ずるまでの間、財産の管理者を選任し、又は事件の関係人に対し、財産の管理に関する事項を指示することができる。

2 家庭裁判所は、遺産の分割の審判又は調停の申立てがあった場合において、強制執行を保全し、又は事件の関係人の急迫の危険を防止するため必要があるときは、当該申立てをした者又は相手方の申立てにより、遺産の分割の審判を本案とする仮差押え、仮処分その他の必要な保全処分を命ずることができる。

3 前項に規定するもののほか、家庭裁判所は、遺産の分割の審判又は調停の申立てがあった場合において、相続財産に属する債務の弁済、相続人の生活費の支弁その他の事情により遺産に属する預貯金債権(民法第466条の5第1項に規定する預貯金債権をいう。以下この項において同じ。)を当該申立てをした者又は相手方が行使する必要があると認めるときは、その申立てにより、遺産に属する特定の預貯金債権の全部又は一部をその者に仮に取得させることができる。ただし、他の共同相続人の利益を害するときは、この限りでない。

4 第125条第1項から第6項までの規定及び民法第27条から第29条まで(同法第27条第2項を除く。)の規定は、第1項の財産の管理者について準用する。この場合において、第125条第3項中「成年被後見人の財産」とあるのは、「遺産」と読み替えるものとする。